十字架を負う

だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについてきなさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者は
それを救うのです。

マルコの福音書8章34、35節

だれでも、イエス・キリストに従いたいなら、

十字架を負う。

26聖人が処刑された長崎

西坂の丘にあるレリーフに刻まれた聖書のみことばです。

だれかではなく、だれでもイエスさまに従いたいなら、

自分を捨て、自分の十字架を負う。

いのちを失うこともある。

またそれに相当するような、

ある場合、肉体の死よりももっと自分を捨てる。

しかし、その報いがある。

かえっていのちを救うこととなる。

永遠に。

12歳の少年ルドビコ茨木はそれを知っていました。

単純に信じていました。

死をさえ、囚人として処刑されることさえ、

喜びと変えてしまう

すごい力です。

かえって生きています。

守ろうとすると失います。

自分を生かそうとするとかえって失います。

自分の思い通りに事が進まないとき、

私たちの周りに私たちに敵対する人がいるとき、

ののしる者たちがいるとき、

どうでしょうか?

クリスチャンとして、イエスさまに従って進もうとするとき、

神様に従って羽ばたきたいときに、

その羽をおさめることを余儀なくされるとき、

自由にならないとき、

自分を捨てることができるのは、そのようなときです。

自分を生かすために戦わないということ。

自分を捨てる・・・ということは、形だけでなく、

喜んでそれを受け取ることです。

10年前は、よおし、いつでもそうしようと思っていました。

それをモットーとしたいと思っていました。

でも、今はできない自分をよーく知っています。

内側で戦います。

形はできても、ルドビコのように喜んでできないなあと思います。

歳をとると、たくさん、いろいろ経験しますから、

自分が十字架を負ったと思って、

実はだれかに反対に十字架を負わせていたり、

自分を捨てたんだ!と思っていて、

だれかが私のために自分を捨てていたり、

あるいは、文句言って苦悶している自分がいたり・・・

かえって他人様にご迷惑をかけていたり・・・

そんなことばっかりでした。

たった一つ、イエスさまに従うために、

私たちの希望は、あります。

主ご自身です。

主に、そうさせてくださいと祈り、求める恵みがあります。

感謝を身につけましょう。

訓練、訓練、また訓練です。

これこそ、十字架を負って主の栄光を見る極意です。


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