今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
みなは、あり余る中から投げ入れたのに、
この女は、乏しい中から、
あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。
マルコの福音書12章44節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
イエスは答えられた。
「一番たいせつなのはこれです。
『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
マルコの福音書12章29、30、31節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
するとイエスは言われた。
「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
彼らはイエスに驚嘆した。
マルコの福音書12章17節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。
マルコの福音書12章10節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。
主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、
あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
テサロニケ人への手紙第一5章23節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
ですから、あなたがたは、今しているとおり、
互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
テサロニケ人への手紙第一5章11節

しかし、私たちは昼の者なので、
信仰と愛を胸当てとして着け、
救いの望みをかぶととしてかぶって、
慎み深くしていましょう。
テサロニケ人への手紙第一5章8節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
ですから、
ほかの人々のように眠っていないで、
目をさまして、慎み深くしていましょう。
テサロニケ人への手紙第一5章6節

今日のみことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16、17、18節

あなたへの聖書のことば
2008 / 03 / 31 ( Mon )
わたしの目には、
あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
イザヤ43章4節
あなたにこのみことばを送ります。

ありのままの自分で・・・
2008 / 03 / 31 ( Mon )
「ねーちゃん。」これがいやだった。
なぜ?私のところは3人兄弟。
兄と弟と私。私は真ん中。


いろいろあり、全部私のところに・・・
「ねーちゃんだから・・・」
「ねーちゃんだから、えらいね。」と
言われると特にイヤ。
いい子にいなきゃいけない。
そのプレッシャー・・・
クリスチャンになって変わった。
自分は自分でいいんだと・・・
それは、神の愛を知ったからだ。
坂の長崎
2008 / 03 / 31 ( Mon )

坂の長崎。
「きつか〜」と思うときもある。
でも、この坂は、長崎の特徴でもあると。
いいとこでもあると。
神があなたがたのことを心配してくださる。
2008 / 03 / 31 ( Mon )
学生の頃、人にも親にも言えないこと。
それを「日記」に書いていた。
いやなことがあればあるほど・・・・
それが、ストレス解消になっていた。
誰にも見せたことない。
悩みもそのノートに書いていた。
今の時代、ストレス社会ともいわれて
いるが、聖書に、
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に
ゆだねなさい。神があなたがたのことを
心配してくださるからです。」
第一ペテロ5章7節とある。
思い煩っても、イライラするだけ・・・
すべてのことを神にゆだねるとき、
神がしてくださるのです。



今日のみことば
2008 / 03 / 30 ( Sun )
神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。
1テサロニケ人への手紙4章7節
イエスは答えて言われた。
「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、
『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、
ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
マルコの福音書11章22〜24節
今日のみことば
2008 / 03 / 30 ( Sun )
もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、
『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』
と言いなさい。」
マルコの福音書11章3節
長崎にいてよかったと思うこと
2008 / 03 / 30 ( Sun )

長崎にいてよかったと思うこと。
はじめは、長崎が「すかん」かった。
「最悪」のことしかなか。
「ここにいとうなか。」(いたくない)
何度もあった。恨んだこともあった。
いろんなところにいってわかったこと。
「うちにとって、ここが一番住みやすかとこ。」
長崎の風景を見ながら思う。




今日のあなたへのひとこと
2008 / 03 / 30 ( Sun )

今、あなたの「人生」に「最悪」と思えることがあっても、
「生きて何になるんだ」と、
でも、覚えて下さい。必ず、「生きててよかった。」と
思う時が来る。
父が亡くなり、母と子ども3人だけ。
母は、思ったそうだ。
「死のう」と。
でも、子どもの顔を見たらできなかった。
そして、ここまで生きてきた。
クリスチャンになった。
私もそうだった。
今、思う。「生きててよかった」と。
あなたにも、それはいえるのです。



『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』
マルコの福音書 11章17節
教会は***
2008 / 03 / 30 ( Sun )

教会というと、入りにくいというイメージあるとかな?
そんなことなか。
誰でも来てよか。
今日は、あいにくの雨。恵みの雨かな。
礼拝に来て、元気だしてください。
教会はキリストのからだであり、
いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。
エペソ人への手紙1章23節



誰でも来てよかと
2008 / 03 / 29 ( Sat )
ある方から電話。
「ぼくみたいなのも来ていいんですか?」と
教会に電話があった。
「どうぞ、来て下さい。」と・・・・
教会は、誰でも来てよかと。
遠慮せんでよか。
20年前、いじめで、人と話すことの
できんかったわたしが行ったとやっけん。
明日、礼拝来て下さい。

本当の解決は・・・
2008 / 03 / 29 ( Sat )
「誰でもよかった」
一連の悲しい事件の共通点。
相手も自分も傷つけ、結局、
何の解決も見いだせない。
いろんな理由はあるけれど、
本当の解決は、イエス・キリストに
あるのだから・・・・・

健康であること。
2008 / 03 / 29 ( Sat )
この3月、母が脳梗塞。 
発見がはやく、軽いほうだった。
電話でしゃべる口調がいつもと
ちがっていたので、翌日病院へ・・・ 
今週、退院した。
でも、おこす可能性あるとのこと。
とにかく、家に帰り本人は落ち着いたようだ。
人は、今日は元気でも、明日はどうなるか
わからない。
健康であることは恵みである。

母が作ったちゃんぽん
2008 / 03 / 29 ( Sat )
ちゃんぽんのことは前にも書いたが・・・
地元の人は、お店に行って食べるのではなく、
家で作って食べると。
母はよく作ってくれた。
お店のもおいしかけど、手作りはもっと
おいしかばい。






あきらめない
2008 / 03 / 29 ( Sat )
今日のある番組でのこと。
18歳の野球やっている少年。
あるとき、脳硬塞になる。
マヒが残り、野球はもう・・・・・
ところが、その少年はリハビリし続け、
ふたたびマウンドへ・・・・・・
あきらめなかった。
その少年の目標は「プロ野球の選手」
今悲しい事件が続いている。
だからこそ、神が与えた命を
大切にしてほしい。
あなたの若い日に、
あなたの創造者を覚えよ。
伝道者の書12章1節

毎朝、駐車場が遠くてずいぶん歩かなければならない。
しかし、それがプラスになって、歩きながらいろんな花々との
出会いがある。パンジーや水仙、菜の花を毎日見ている。
朝なので、ずいぶん早足だ。
おかげで、メタボリックシンドロームとも縁のない生活。
この朝の時間が、私にはとっても大事な時間になっている。
歩きながら、いろんな事をイエス様に祈る。
「求めなさい。そうすれ与えられます。」マタイ7:7
十字架を負う
2008 / 03 / 27 ( Thu )
だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについてきなさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしと福音とのためにいのちを失う者は
それを救うのです。
マルコの福音書8章34、35節
だれでも、イエス・キリストに従いたいなら、
十字架を負う。
26聖人が処刑された長崎
西坂の丘にあるレリーフに刻まれた聖書のみことばです。
だれかではなく、だれでもイエスさまに従いたいなら、
自分を捨て、自分の十字架を負う。
いのちを失うこともある。
またそれに相当するような、
ある場合、肉体の死よりももっと自分を捨てる。
しかし、その報いがある。
かえっていのちを救うこととなる。
永遠に。
12歳の少年ルドビコ茨木はそれを知っていました。
単純に信じていました。
死をさえ、囚人として処刑されることさえ、
喜びと変えてしまう
すごい力です。
かえって生きています。
守ろうとすると失います。
自分を生かそうとするとかえって失います。
自分の思い通りに事が進まないとき、
私たちの周りに私たちに敵対する人がいるとき、
ののしる者たちがいるとき、
どうでしょうか?
クリスチャンとして、イエスさまに従って進もうとするとき、
神様に従って羽ばたきたいときに、
その羽をおさめることを余儀なくされるとき、
自由にならないとき、
自分を捨てることができるのは、そのようなときです。
自分を生かすために戦わないということ。
自分を捨てる・・・ということは、形だけでなく、
喜んでそれを受け取ることです。
10年前は、よおし、いつでもそうしようと思っていました。
それをモットーとしたいと思っていました。
でも、今はできない自分をよーく知っています。
内側で戦います。
形はできても、ルドビコのように喜んでできないなあと思います。
歳をとると、たくさん、いろいろ経験しますから、
自分が十字架を負ったと思って、
実はだれかに反対に十字架を負わせていたり、
自分を捨てたんだ!と思っていて、
だれかが私のために自分を捨てていたり、
あるいは、文句言って苦悶している自分がいたり・・・
かえって他人様にご迷惑をかけていたり・・・
そんなことばっかりでした。
たった一つ、イエスさまに従うために、
私たちの希望は、あります。
主ご自身です。
主に、そうさせてくださいと祈り、求める恵みがあります。
感謝を身につけましょう。
訓練、訓練、また訓練です。
これこそ、十字架を負って主の栄光を見る極意です。
今電話に出てるあなたでいいから
2008 / 03 / 27 ( Thu )
嬉しいことが今週はいくつかありました。

そのうちの一つ。
火曜日に教会に電話がかかってきました。

その方は県外の方で、精神の病をもっておられ、
本当は牧師に祈ってもらうためにかけてこられたのでした。
牧師はお留守であることを伝えると、
「電話にでてるあなたでいいから、
今日は朝から落ち着かないので、落ち着いて生活できるように、
祈ってください。」というものでした。
こういう電話大好きです。
心を込めて祈らせていただきました。
昨日、また一人でいるときに電話がありました。
その方からのお礼の電話でした。
「念入りに祈ってもらったので、あれから
ずいぶん落ち着きました。
今日は朝から落ち着いて生活できてます。
嬉しかったのでお礼の電話かけました。」
という嬉しい内容でした。
ちょっとだけおしゃべりもできました。
電話で祈った祈りもイエスさまは答えてくださいます。
電話に出た私の祈りでも、心から信じて主に求めれば、
答えてくださるのです。

今日のみことば
2008 / 03 / 27 ( Thu )
それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに
呼び寄せて、彼らに言われた。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
マルコの福音書8章34節
菜の花畑で思ったこと
2008 / 03 / 27 ( Thu )
春は名のみの風の寒さや〜
風の冷たい日が続きますが、
みなさん、いかがお過ごしですか。
先日あるところへ行ってきました。
高速道路を約1時間半走って行ったその場所はただの川。
日本26聖人の最年少、12歳(13歳?)のルドビコ茨木が、
自分たちを捕らえ護送する役人に、自分の養子になれば、
死なないで長生きできるからと背教を迫られたとき、
きっぱりと断った町です。
そこにある川べりでお祈りをしました。
立って歩いているとふっとばされそうな
冷たい強風の日でしたけれど、
とてもお天気が良くて、
川べりは絵のような菜の花畑となっていました。
つくしを摘んでいた人もいました。
何度か来ていましたが、
こんなに美しいお花畑になっていたのは
初めてでした。
風さえなければ、まるでお花見ピクニック。
ところが、とにかく寒くて、
風から身を守る方法を
必死で考えなければなりませんでしたが、
川と菜の花の原っぱではどうにもなりません。
それで、ちょっとだけ、
思い切ってその菜の花の草むらの間に
ねっころがってみました。
すると、まったく風も体に当たらず、
青空をバックに、顔の横でゆらゆらと黄色い菜の花が揺れていて、
上からはさんさんと日が射して、
なつかしい草のにおいもして、幸せ一杯でした。
同じ場所なのに、
姿勢を変えるだけでこんなに違います。
一番低い姿勢になると、
強風荒れ狂うさきほどとは別世界です。
立ち上がると、
横から倒されそうな力で風が吹き付けます。
身を低くすると、あたたかい日の光です。
なぜ、12歳の少年が、あの厳しい迫害に耐えられたか、
しかも心から喜んでいられたか。
この世の強風ではなく、まっすぐ上を見ていたからです。
吹いてくる風よりも、もっともっと彼は低かったから、
彼の目には楽しみと喜びだけが映っていたのでしょう。
天の御国はこのような者たちの国なのです。
マタイの福音書19章14節