ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださる
2007 / 11 / 30 ( Fri )
キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
ピリピ人への手紙3章21節
目標を目ざして一心に走っているのです。
2007 / 11 / 30 ( Fri )
兄弟たちよ。
私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。
ピリピ人への手紙3章13、14節
どんな境遇でも
2007 / 11 / 30 ( Fri )
「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)
私が若い頃、どんな事があってもニコニコしている人を尊敬し、
あこがれていた。
私もそうなりたい。
不安定な私はよくそう思っていたものだ。
牧師さんがよく話されていた。
嵐の中で、しっかりと錨を下ろしている船のように、
キリストにしっかり繋がっていると、どんな中でも
平安でいることを。 
今それがわかる。
すべての状況を神さまに感謝する時、
神が、すべての状況のただ中で、すべてを益とされることを。
私たちの賛美の中に、神さまが住んでくださって、
平安を与えられる事を。
わたしのことばは決して滅びることがありません。
2007 / 11 / 30 ( Fri )
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
ルカの福音書21章33節
忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
2007 / 11 / 30 ( Fri )
あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
ルカの福音書21章19節
惑わされないように気をつけなさい。
2007 / 11 / 30 ( Fri )
惑わされないように気をつけなさい。
ルカの福音書21章8節
聖書の言葉
2007 / 11 / 29 ( Thu )
神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
ピリピ人への手紙2章13,14節
少し早い大掃除
2007 / 11 / 29 ( Thu )
教会の倉庫の整理をしている。
あわただしい、というよりも、「壮絶な」という言葉がぴったりした引越しの際、
バサッバサッと大きなダンボール箱に詰め込まれて運ばれてきた物、物、物・・・・。
それから1年たった今もなお、開かずの箱のまま。
その箱たちが、倉庫の中で眠っている。
さらに荷物は増えて、新しい物たちの置き場所を確保するために、
引越しのときのダンボール箱は下に下にと埋もれてしまった。
一個何かを探すのにも大変である。
ちょうど、ぎっしり詰め込まれた押入れのふすまを開けると、中身がなだれを起こすような・・・
それと少し似た光景だ。
「あれ、あれどこだったかな?」と必死で探せど探せど、探すのに成功する率はごくわずか。
というより、この箱たちの中に手をつけるには、相当の気力と勇気が要る。
そんなこんなでみつけることをあきらめることもあった。
いつかはしなければ・・・と延ばしに延ばしてきたこの大仕事に、ついに手をつけることとなった。
重装備をして倉庫に入ると、一目見て、大ため息が出そうだった。
大量の箱が、足の踏み場もないくらい、うず高く、すきまなく、無秩序に詰め込まれていて、
一体どこからどう手をつけたらよいのやら・・・。しばし呆然。
無理もない。あのときはお金もない。人手もない。
あったのは、大量のゴミと荷物。
それを少ない人数の教会の若者が、仕事を休み、彼らの手で運んだ。
人一人通るのがやっとの階段を、まるでロバのように背中に荷物を背負って、
一言の文句ももらさず、4階建ての建物の各階に運び上げた。
コピー機、印刷機、冷蔵庫・・・・そんなものまで、手作業でわずかな時間で運んだのだ。
神様、この大仕事を感謝します。今私にも知恵と力を与えてください。
そう祈って、一個一個箱を開けた。
その中に詰め込まれていたのは、ほとんどカセットテープ。
神さまが送ってくださった海外の主の器を通して語られた言葉。。。。
私たちに幻を与え、希望を与え、力を与えるために神さまが送られたたくさんの力ある言葉。
また、毎週毎週戦いの中にある私たちを強め、一歩一歩ここまで導いてくださった、
礼拝で語られた神の言葉。
それらの言葉で私たちはここまで導かれてきた。
だからぎっしりと詰め込まれた箱の中身は私たちの宝の財産。
その時々に主が示された愛がよみがえる。
整理整頓をすると、溜め込まれていたゴミも出てくるけれど、
いつのまにか忘れてしまっていた宝物も見つけ出す。
それらを取り出して、今度は、今必要な人々に分かち合える。
ついでに私の内側もきちんと整理整頓して、不要のゴミは捨て、
宝物をもう一度取り出して、それを用いられる神さまに感謝して次へと進もう。
主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
マタイの福音書3章3節
自分を低くする者は高くされます。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
マタイの福音書23章12節
聖書の中に、こんなお話があります。
イエス・キリストがこの地上で見える姿で過ごされていた頃、
イエス様が語られました。
ふたりの人が、祈るために宮に上った。
ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人パリサイ人といわれる律法学者が、
神殿に来て祈るのです。
パリサイ人は、『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、
姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、
その十分の一をささげております。』と、自分を全く正しいと自覚し、
自分こそが神さまから祝福を受けるにふさわしいと信じているのです。
一方、取税人は‥遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』と、私など全く受けるにふさわしくない、
そんな私をも祝福してください、とお祈りをするのです。
神さまは、取税人の方を正しいと言われました。
どんな時でも、自分を正しくひくくするとき、神さまは恵み祝福してくださるのです。
高慢になっている時、決して正しいとはされないのです。神さまの祝福をも
逃してしまうのです。
神さまが言われる謙遜を求めて行く時、必ずひくくあることができるのです。

キリストのための苦しみをも賜わったのです。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
あなたがたは、キリストのために、
キリストを信じる信仰だけでなく、
キリストのための苦しみをも賜わったのです。
ピリピ人への手紙1章29節

これは神から出たことです。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
これは神から出たことです。
ピリピ人への手紙1章28節

生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
ピリピ人への手紙1章21節

あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられている
2007 / 11 / 28 ( Wed )
つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、
あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、
このことを私は喜んでいます。
ピリピ人への手紙1章18節

福音を前進させることになった
2007 / 11 / 28 ( Wed )
さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、
かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
ピリピ人への手紙1章12節

キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる
2007 / 11 / 28 ( Wed )
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、
キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを
私は堅く信じているのです。
ピリピ人への手紙1章6節

わたしの家は、祈りの家でなければならない。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
ルカの福音書19章46節

神を賛美し
2007 / 11 / 28 ( Wed )
弟子たちの群れはみな、
自分たちの見たすべての力あるわざのことで、
喜んで大声に神を賛美し
ルカの福音書19章37節

人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
2007 / 11 / 28 ( Wed )
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
ルカの福音書19章10節

この希望は失望に終わることがありません
2007 / 11 / 28 ( Wed )
この希望は失望に終わることがありません。
ローマ人への手紙5章5節
日曜日は主の日、
神さまのところにきて、神さまをたたえ礼拝する日です。
以前こんなことがありました。
その日曜日は、頭痛がひどく、
イスに座ると頭の血管が切れるのではないかと思われるほどでした。
フラフラし始終吐き気がありましたが、
とにかく小さな子どもたちを車に押し込み
車を運転して教会へ行きました。
礼拝が始まり、いつものように
(礼拝中他の方々に迷惑にならないように子どもたちをケアーする)
子どもたちの方へ向いていたのですが
心の中に、今は礼拝中、神さまを礼拝したほうがよい
と、「‥‥してよ-」と言っている子どもたちを横にして
立ち上がり神様に向かってとにかく賛美をし礼拝をしました。
心から、
頭痛がとれたのです、ひどい痛みが一瞬にしてなくなったのです。
加えて、内側から喜びがあふれ、それまであった体の疲れも
なくなってしまいました。

神のことば・・・
2007 / 11 / 27 ( Tue )
「必ずそれができるから。」民数記13章30節のことばです。
聖書には、よくできるから・・ということばがでてくる。
私は、昔、「絶対、アニメの仕事をするんだ!」という夢を
もっていました。実際、資料を手にいれたりしました。
ところが、ある人から、「おまえには無理だ」と言われてしまったのです。
一番身近な人に・・・悲しかった。自信もてなくなり、あきらめたのです。
でも、神のことばは違う。神のことばは、人をたて上げる。
だから、私は、聖書が好きなのです。
私たちが、神に祈るとき、神のことば信じるとき、奇跡は起こるのです。
また、聖書たくさん読むと励まされるのです。
自分を低くする者は高くされます。
2007 / 11 / 27 ( Tue )
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるからです。 ルカの福音書18章14節

いつでも祈るべきであり
2007 / 11 / 27 ( Tue )
いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを
教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。 ルカの福音書18章1節

神のなぐさめ・・・
2007 / 11 / 27 ( Tue )
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
マタイの福音書5章4節
私は、幼い頃、悲しいことがあると、押入れに入ってよく泣いた。
学校でいじめられたとき、大好きなおばあちゃんが死んだとき、悲しいことがあると、
そこに行った。いやなことがあると、全部、日記に書いた。
でも、本当のなぐさめを受けることはできなかった。
今、わかることがある。本当の慰めはイエス・キリストからくるのだと・・・
悲しい事、いやな事、いろいろあるけれども、イエスさまに祈るとき、その出来事を
感謝するとき、神からの慰めがくるのです。
このブログを見ている方もおられると思います。
ぜひ、イエス・キリストのところへきてください。

人にはできないことが、神にはできるのです。
2007 / 11 / 27 ( Tue )
人にはできないことが、神にはできるのです。
ルカの福音書18章27節

子供たちを
2007 / 11 / 27 ( Tue )
しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こういわれた。
子どもたちをわたしのところに来させなさい。
止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
ルカの福音書18章16節

失望に終わらない希望 5
2007 / 11 / 26 ( Mon )
イエス・キリストに出会って私の人生は、根底から全く変わりました。
希望に満ち、充実した毎日
わたしは、気づきました。この方に、こそ全てのもがあると。
一番の変化を感じたのは、朝、目を覚ますときの事だった。
以前は、目が覚めるといやでいやで仕方なかった。
代わり映えのない毎日。一日が動き出したらそうでもないが
始まるまでは、苦しくてしかたがない。
そんな、毎日から逃げ出したくてしかたなかった。
しかし、逃げたすわけにもいかなかった。
しかし、イエス・キリストに出会ってから一日が、希望で始まる。
朝起きると、気分が晴れやかで、今までと全く違う朝がそこにはあった。
なにが、かわったのか、それは、命がけで愛してくださっている
キリストに出会ったこと。私の人生においてとてつもなく大きな事だった。
わたしの心の穴をすっかり埋めてくださった・・・
次週へ続く
孤児院のゴスペルチャリティーコンサート
2007 / 11 / 25 ( Sun )
今日の夕方、礎の石孤児院チャリティーコンサートを行った。
ゴスペルを歌いながら、孤児院の子どもたちのことをトークで短く話して紹介した。
今回は、たくさんの新しい人たちが来られた。
孤児たちの話に感動したり涙を流したり、食い入るように聞き入る人たちがいた。
高齢の方から学生の人や子供連れのお母さんまで、いろんな方々が来た。
アフリカの人たちも束になってきてくれた。
礎の石の本を買ってくれる人。
パートナーになってくださる方。
コンサートの後も残って後片づけまで手伝ってくれる人。
反応はすこぶるよかった。
孤児院の働きは、彼らを助けているけれど、実は、私たちの方が、この日本という固い国の壁を突き破るために、彼らから助けられているのだと思わされた。
高齢者の役割
2007 / 11 / 24 ( Sat )
今日は、YMCAに行って、礎の石孤児院のお話をした。
YMCAとは言っても、今日は若者というのではなく、むしろ現役を引退された方々にお話をさせていただいた。
この方々は、社会的な影響力がある。
彼らに、孤児たちの現状を知ってもらうことは、とても意味がある。
もちろん、誰でも意味はあるのだけど・・。
60歳を過ぎてから孤児院に奉仕に行った方のお話をした。
パートナーになってくださる方や、礎の石の本を買ってくださる方々がたくさんいた。
これからも継続的に孤児たちに関わり続けてもらいたい。
そう心から願う。
彼らに必要なのは、愛である。
そして愛は、一時的ではなく、継続して愛し続けるものである。
孤児たちを、そして私とあなたを継続して愛し続けてくださる方がいる。
その方がイエス・キリストだ。
奥義
2007 / 11 / 24 ( Sat )
その奥義とは、
福音により、
キリスト・イエスにあって、
異邦人もまた共同の相続者となり、
ともに一つのからだに連なり、
ともに約束にあずかる者となるということです。
エペソ人への手紙3章6節

敵意は十字架によって葬り去られました。
2007 / 11 / 23 ( Fri )
敵意は十字架によって葬り去られました。
エペソ人への手紙2章16節

神の家族
2007 / 11 / 23 ( Fri )
あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
エペソ人への手紙2章19節
敵意を廃棄された方
2007 / 11 / 23 ( Fri )
キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
エペソ人への手紙2章14、15節
キリスト・イエスにあって造られた
2007 / 11 / 23 ( Fri )
私たちは神の作品であって、
良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
エペソ人への手紙2章10節
神からの賜物
2007 / 11 / 23 ( Fri )
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙 2章8節
わたしの弟子
2007 / 11 / 23 ( Fri )
わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、
そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません。
ルカの福音書14章26、27節
人々を連れて来なさい。
2007 / 11 / 23 ( Fri )
主人は言った。
『‥‥、この家がいっぱいになるように、
無理にでも人々を連れて来なさい。‥‥。』
ルカの福音書14章23節
自分の財産全部
2007 / 11 / 23 ( Fri )
そういうわけで、あなたがたはだれでも、
自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。
ルカの福音書14章33節
キリスト・イエスご自身がその礎石です
2007 / 11 / 23 ( Fri )
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
エペソ人への手紙2章20節
キリストこそ私たちの平和
2007 / 11 / 23 ( Fri )
「キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」 エペソ2:15
人間関係で、とっても良い関係になったとしても、
まだ、いま一つ根本的なところで、しっくりしないとか、
何かいま一つ打ち解けないとか、
それは、まだ隔ての壁があるのです。
しかし、キリストはその最後のとりでとなっている隔ての壁を
必ず打ちこわし、
罪の悔い改めを与え、和解を与え、
十字架によって一つとされます。
これは人間の努力でできないことを
十字架の上でキリストが、
敵意や、悪意や死をもたらして来る、サタンに対して
勝利されたのです。
あなたの人生においても、キリストを信じるとき、
その勝利が現実のものとなって
あなたの生活に人生に現れてきます。
自分を低くする者は高くされる
2007 / 11 / 23 ( Fri )
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるからです。
ルカの福音書14章11節
上座にすわってはいけません。
2007 / 11 / 23 ( Fri )
上座にすわってはいけません。
ルカの福音書14章8節
希望は願いとは違う
2007 / 11 / 22 ( Thu )
どんな言葉にみなさんが反応して、このブログを読んでくださるのかを調べてみた人がいます。「希望」という言葉に多くの人が反応しておられたようです。
みんな希望がほしいんですね。
私は昔は、希望とか、望みとかという言葉は、「こうなったらいいなあー」という願いだと思っていました。そんなものをもっても、自分の努力でそうなることもあれば、いくら努力してもならないこともある・・・。それなら希望なんて持つこと自体が空しいと思っていたものでした。
しかも、人間は希望がなければ生きることはできません。生きる力がでません。
イエス・キリストを信じて知ったことがあります。
私たちを愛してくださる神様がくださる希望があります。
それは、得られるか得られないかわからないようなものではありません。
聖書は希望のことばで満ちています。もしこれらのことばが全部私の人生になるとしたら・・・
私の目には障害があります。眼科の検診で正しく視力を計れない障害です。
医師から宣告されていたことは、
この目では、見るということ自体が自分の体をいじめることになるので、
一生を見るともなく、見ないともなく、ぼんやりとした状態で過ごすようにということでした。
何という望みのない人生が待っているのかと絶望でした。
ところが、そろそろ熟年と呼ばれる世代になっても、
私は聖書の小さい文字を読み続けています。
人一倍目を使って教会で奉仕しています。
「あんた、神さまが読ませてるんだなあ・・・」とよく言われます。
あまりに当たり前になってしまって、
日ごろ何も感じないで、普通に生活していましたが、
神さまが私を通して栄光をあらわすとおっしゃった
希望のことばのとおりだったなあと、
あの医師のことばを思い出すと、つくづく神さまの真実を感謝するのです。
彼に信頼する者は、失望させられることがない。ローマ人への手紙10章11節
永遠の愛
2007 / 11 / 21 ( Wed )
11月25日
孤児院のチャリティーコンサートが催されます。
6月から毎月行われていますがその中から一曲お聞き下さい。
「永遠の愛」
この希望は失望に終わることがありません。
2007 / 11 / 21 ( Wed )
この希望は失望に終わることがありません。
ローマ人への手紙 5章5節
若いときは多くの夢を持ち、希望を探しました。
今、振り返るとイエス・キリストを信じたときから
確かに人生は変わり、それまでの事柄全て
人生の中で益となっています。

進路を決定する時、要となったのは、先生と両親が望み
進める方向とは異なった方向を選び:自分には全く不得意な方向
受験し、見事に失敗した。
分かっていながらの失敗だが、とても悲しくて
毎日、しばらく泣いて過ごしました。

唯一入れてもらった学校へ進んだ。
そこで、それまで全く専門としてやろうなんて思いもしなかった
英語の勉強をし、同時にそれまで求めていたが
機会のなかった聖書の学びも始めることができた。
教会へ行き、聖書を学んでいくうちに英語に非常に興味を
持つようになった。元々外国が好きで、日本人でない人を見ると
必ず話しかけていた。
救い主であるイエス・キリストに求めました。
クリスチャン国といわれる国に行かせてください。
もっともっと深くイエス・キリストのことを学ぶ機会を与えあなたに
仕える者にしてください。と。
もちろん、初めは自分で色々努力しましたが、全く道が開きませんでした。
試験を受けると落ちてしまい、申請しても拒否されました。
これで最後にしようと、イエス・キリストに祈り求めました。それまでとは違い
努力するのではなく、イエスさまーと祈りつつ対応したところ
道が開けたのです。半年後には、アメリカの地にいました。
今では、何十年も過ぎましたが、今は英語が大好きです。
外国語が大好きです。得意ではなかった英語を話すと
内側がうれしくなります。
イエス・キリストを信じる者には、失望はないのです。
失望していたことも、状況も希望となり、益となるのです。

私たちの主イエス・キリストの恵み
2007 / 11 / 21 ( Wed )
どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、
兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
ガラテヤ人への手紙 6章18節

イスラエル
2007 / 11 / 21 ( Wed )
どうか、この基準に従って進む人々、
すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。
ガラテヤ人への手紙 6章16節

主イエス・キリストの十字架
2007 / 11 / 21 ( Wed )
しかし私には、
私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが
決してあってはなりません。
ガラテヤ人への手紙6章14節

みことばを教えられる人
2007 / 11 / 21 ( Wed )
みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。
ガラテヤ人への手紙6章6節

御霊のために蒔く者
2007 / 11 / 21 ( Wed )
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
ガラテヤ人への手紙6章8節

負うべき自分自身の重荷
2007 / 11 / 21 ( Wed )
人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。
ガラテヤ人への手紙6章5節
