あなたへの今日の愛のひとこと
少し前のことですが、ち私の長男がインターハイで優勝をしました。とても嬉しかったです。その時のことを書きました。
インタハイ、全国制覇!
長男からメールが届いた。
今年のインタハイは佐賀で行われていた。
その佐賀から、優勝して嬉しそうに記念撮影している長男と登山部のメンバーの写真が送ってきた。
おめでとう。
そう返信のメールを打ちながら、心の中に涙があふれてきた。
今、長男は長崎県立北陽台高校三年生である。
1年の時に登山部に入り、一学年上に誰もいなかったので、2年から彼はキャプテンをした。
だからキュプテンとして臨む二度目のインタハイ。
昨年は、自分のミスで優勝を逃し、三位になった。
それでもすばらしい成績ではあるが、本人はとても悔しく辛かったようだ。
それから一年、全国優勝を目指して部活に打ち込んできた。そしてついに、悲願の優勝を遂げたのである。
昨年は悔し涙を流し、今年はそれが嬉し涙に変わったのである。
しかし、実はこの長男は中学生の頃、不登校だったのである。
彼が、まだ中学一年生だった時、突然、学校に行かなくなった。不登校になったのである。
一学期が終わり、長い夏休みが明けた時から、彼は学校に行かなくなった。最初は、夏ばてで、朝起きれなくて行けないのだろうぐらいに軽く考えていたが、実は深刻であった。彼は、それから中学二年の三学期に遅刻して学校に行くようになるまで、丸1年と5ケ月の間、学校に行かなかった。
長男が起きてくる時間は、だんだん遅くなってくる。そして、とうとう夕方の4時ごろに起きてきて、ボーとしているようになった。その目は、まるで死んだ魚のような目をしていた。そして、運動しないで、ごろごろばかりしているので、足は細くなってしまっていた。
母親である私の妻は、こんな長男の姿を見て、本当に辛かったようだ。
そして秋。いよいよ高校受験の季節が近づいてきた時,追い詰められた私たち夫婦は、この子のために祈り始めたのです。毎朝早く起きて、1時間、感謝を捧げ、そしてこの子にとっての最善の高校を神様に聞きながら、祈り求め始めた。
妻は呻くように祈っていた。
「もう二度と、この子が死んだ魚のような目をするのを見たくありません。神様、世の中の評判なんかどうでもいいんです。この子が三年間、目を輝かせて学校に通える、神様がこの子のために用意したステージのある学校に合格させてあげてください。」
これは私たち夫婦の切実な心の叫びであった。私たち夫婦は毎朝、神様に向かって感謝し叫び祈り求め続けた。
そして、いよいよ受験という時になって、最初は合格は難しいと願書を出すことさえ控えるように言われた今通っている高校の理数科に奇跡的に合格したのである。
この学校のこの学科は、彼にはぴったりだった。
というのは、長男は英語は苦手で好きではなく、理数が得意で大好きだったからだ。
彼にとっては本当にぴったりの高校だった。
そして、彼は部活にと登山部を選んだ。
最初聞いたとき、正直に言うと、彼に登山部が続くだろうかと、妻とともに心配した。
彼の足は、中学時代不登校をした結果、すっかり細く弱くなっていたからだ。
こんな足で果たして山に登れるのだろうか。きっときつい訓練と練習をするのだろうが、それに耐えることが出来るのだろうかと。
でも、本人が決めたことなので、とにかく出来るところまでやれればいいと思っていた。
ところが実際は、毎日、部活や早朝授業があるので、毎朝、早くから起きて学校に行くようになった。
6時は普通のこと、5時に起きることもあった。
これは私たち夫婦にとっては驚きであり、奇跡だった。
妻はいつも言っていた。
「ダニエルが今日も朝早くから自分で起きて、学校に行ったよ。ホントに神様はすごいね。あのダニエルが、こんなに変わるんだね」
そして、ついに部活を三年間続けて全国優勝、日本一に輝いたのだ。
神様は布団にもぐりこんで、何の希望ももたず、死んだ魚のような目をして夕方に起きてきていた長男を、毎日朝早くから起きて、目標を持って、生きる青年に変えてくださったのだ。
優勝が決まる朝、彼は聖書をたくさん読んだ。
その中の箴言の言葉が目に留まった。
「怒りを遅くする者は勇士に勝り、自分心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」
実は成績発表の時、最初、審査員と大会本部の手違いで、二位と発表され、銀メダルをかけられたのだ。彼とチームのメンバーはみんなショックで泣いていた。
ところが最後に成績表が配られた時、そこには明らかなミスがあった。
彼はそれを見つけると大会本部に駆け込み、抗議した。怒りを抑えながら、朝のみ言葉を思い出し、怒りを遅くし、自分の心を治め、すべての決定は主から来るのだと何度もみことばを思い出しながら・・・。
約30分後、正しい発表がなされ、一位になった。
金メダルが届けられ、それをかけ直した。
一年前、自分のミスで負けて三位になった時から、願い続けていた優勝がついに実現したのだ。
神様は本当に真実な方だった。
先週、ある東京の高校に行って、孤児院の話しをする機会があった。
最初にあった校長先生が、生徒たちが長い時間話を聞けないかもしれない、態度が悪いかもしれないと、心配して前もって謝ってくれた。
昨年も、同じことを、担当の先生から言われた。
ところが、今年も、昨年も、生徒たちは、みんな熱心に聞いてくれた。
予定より長くなって1時間近く話したのに、女の子はもちろん、男の子たちも食い入るように聞いてくれた。
いや、聞いただけではない。
質問をすると、手を挙げて答えてくれるのだ。
しかも、一人だけではなく、あちこちで手を挙げてくれる子たちがいた。
嬉しかった。とても嬉しかった。
いつも講演会は、こう言って始める。
「皆さん、ありがとうございます。」
「これは社交辞令でも、建前でもありません。
世界中にいる孤児たちに代わって、心からありがとうという言葉を、
まず皆さんに贈りたいと思います。」
「皆さんは、ある意味で無理やり、この講演会を聞かなければいけなくなったのかもしれない。
だけど、この大切な時間を、他の何かのためではなく、孤児たちの話のために使って、彼らに心を向けてくれる、
それだけで、本当に彼らは生きていく勇気を持つことが出来るのです。」
「彼らは、皆から要らないというメッセージを受けてきた子どもたちです。誰も彼らに関心を持たず、彼らに心を向けてはくれませんでした。
だから、こうして、どこかに自分のことに関心を持っていてくれる人がいる、自分を心にかけてくれている人がいる、
それだけで、彼らにとっては、生きる力と希望になるのです」
そういうと、高校生でも、中学生でも、もちろん大学生でも、子どもたちは、みんな真剣に聞いてくれるのです。
最近、私は分かってきました。
実は豊かに国、日本の若者たちも、
自分に関心を持ってくれる人、自分を心にかけてくれる人を探して求めているのだと。
そしてそれは、若者だけではなく、主婦も、シニアの人たちも、年老いて引退した人も、社会の第一線で活躍している人も、本当は同じなのだと。
でも残念なことに人間は、ある期間だけ、あるいは、ある条件がそろえば、関心を持ち、心を向けてくれるのです。
だから、傷つき、愛が信じられなくなるのでしょう。
けれども、希望があります。
あなたに関心を持ち、心を傾けてくださる人がいるのです。
それはイエス・キリストです。
この方は、決してあなたを捨てず離れません。
イエス・キリストは、
あなたをありのままの姿で、愛し受け入れてくれます。
そして、あなたに関心を持ち続け、あなたに心を向けて、あなたを育み建てあげてくれます。
キリストの愛は、笑ったことのない子どもたちに、
はじけるような笑顔を取り戻してくれました。
あなたにも、
あなたの家族にも、
キリストの愛は、
あふれる喜びと笑顔を取り戻してくれるでしょう。
私たちは、人の一言で励まされたり、一言で落ち込んだりする。
私たちの心の中に、思い煩いがあったり、
問題をかかえていたりすると、暗い思いになるものだ。
そして、これは不可能だと思っている壁にぶつかっている時、
心が重くなるものだ。
しかし、聖書にこう書かれている。
誰でも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で
疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、
そのとおりになります。
マルコ11:23
この山・・・この問題となる山
その山に向かって、ことばを解き放つ時、
山が崩れ、海になだれこんでしまう。
そのように、神から与えられたことばを解き放つ時、
自然界さえも動いてしまう。
そのように、私たちの前に、立ちはだかっている問題の山も、
崩れ去ってしまうと、言っているのです。
そして、口で言ったとおりになると。
なんと、すばらしいことだと思いませんか!!
私たちがどんなに能力がなくても、弱さがあっても、
それは問題ではありません。神様を信じましょう。
私たちは、長い人生の中で、いくつもの山にぶつかります。
しかし、不可能はありません。神様が必ずこの山を崩して、
解決して下さると、宣言していきましょう。
イエス・キリストは、あなたの山を崩して下さいます。
イエスは答えて言われた。
「人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つの言葉による。」
と書いてある。
この言葉は、イエス様が言われた言葉です。
世の中には、色々な食物があふれています。
しかし、時間がたてばおなかは空いてしまいます。
確かに、生きていくための栄養源ですが、
イエス様それだけで、生きていくのではない、
と言われたのです。
神の口から出る一つ一つの言葉は、
あなたをつくり変え、全てをつくりかえます。
神の言葉は、生きてあなたの内で働くのです。
目に見えるものは、どんなに確かであるように見えても
形あるものは必ず、消え去ります。
しかし、神の言葉はかわりません。
そして、あなたの日々の生活を、そして人生を導く
鍵である事を知ってください。

私は、毎朝、作業する前、聖書を読みます。
島原にいたときも、バイトに行く前聖書読んでいました。
読んでいると、なぐさめられるし、励まされるのです。
特に、つらいことがある時とか・・・
むずかしく考えて読むのではなく、子どものように
素直な心で読んでみては・・・・
そのとき、神の愛を知ることができる。
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、
みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し、救いを得るためです。
第一ペテロ2章2節
見よ。わたしは、すべてを新しくする。
事は成就した。
ヨハネの黙示録21章5、6節
私たちの教会では月曜日の礼拝をやっています。今日はぜひ来てほしい人がいたので、朝、神さまにお祈りしました。その人は看護師さんなので、シフト制の勤務です。おとといお会いしたときは夜勤明けでした、、、、ということは、たぶん昨日がお休みで、すると、今日は日勤。じゃあ・・・・月曜の礼拝がある午前中などにこれるはずがありません。
「神様、普通なら無理なことですけれど、○○さんを送ってください。」
すると、その人が礼拝の始まる直前やってきました。おじょうさんもつれて!!
うれしかったのなんのって!!!
今日はたまたまお休みになっていて、朝、思い立ってあわてて出てきたのだそうです。
聖書にあるみことばです。
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヨハネの福音書16章24節
彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
ヨハネの黙示録20章4節
9月30日に孤児院のチャリティーコンサートがある。
私はそちらの方で、ゴスペルを賛美する。
私の父はチトピーで、カラオケの発表会があり、それに出る。
一回聞きに行ってあげたいが、時間がなくて、それがまだ出来ないでいる。
しかし、このことも感謝!!
今、全然違うことをやっているが、いつかひとつになる時がくるだろう。
一緒に、父の賛美に私がギターで、伴奏する時が。
キリストの十字架には、どんな人の心も溶かし、1つにする力がある。
平和を与え、命の水を与えてくれる。
ここには、どんな不可能もない。
「キリストこそ私たちの平和であり、2つのものを1つにし、
隔ての壁を打ちこわし、」(エペソ2:14)
ここ数日の暑さは異常ですね。じりじり・・・・と、まるで人間の丸焼きができそうな熱さで、とても外にい続けることができない熱さです。(この字がぴったりです)室内にいてでさえ、お風呂に入った後のように汗びっしょりになって、水のボトルを手放すことができません。地球温暖化、つまり、人類の罪のつけを、今私たちは支払わされています。暑いからとクーラーをつければ、温暖化はますます悪化します。いろいろ知恵を出し合って、必死でこれを食い止めようという努力がなされています。私も少しでもクーラーや扇風機を我慢して・・・と、今朝から頑張っています。
ところで今朝読んだ聖書の中にこんな箇所があります。
第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。黙示録16章8、9節
これは世の終わりのときについて書かれている黙示録の中の一節です。こわいですね。今でこそ、厳しい暑さに絶えかねて人々がこんなに苦しんでいるのなら、この終わりのときの苦しさはどれほどでしょうか
しかし、キリストを信じて神の子どもとされて、終わりの時にこの地上に残っている者たちには、その前に、再臨のキリストとともに天に引き上げられるという、特別の約束がこの書には書かれています。キリストを信じるか、信じないか、この違いはあまりにも大きいのです。
事は成就した。
ヨハネの黙示録16章17節
互いに赦し合いなさい。
エペソ人への手紙 4章32節
人を赦していないというのは大変な労力です。
私は、かつて兄嫁が言ったひとことが
心に残り兄嫁を憎むまでになった。
できるだけ避けてすごそうとしても、
家族でありそれは不可能でした。
私の内側はいつも不安定でした。
「どうして?」「間違っているわよ」「なんとかしてよ」と
思うばかりでした、毎日がイライラした日々でした。
赦せない気持ち、悪いことはわかっていても自分ではできませんでした。
しかし、イエス様が私たちを赦してくださった様に、
私たちは互いに赦すのです。と、神様は言っておられた。
赦すことができますように、と神様にお祈りをした。
ある時、全く兄嫁が気にならず赦している自分に気づいた。
私の内側も赦すことができてからは、非常に軽くなりました。
思い煩うこと、人を憎むことは自分の体をむしばむものだった。
すべては益となるという聖書のことばがある。
どんなに最悪と思うことがあっても、キリスト信じている
私たちにとってそのことも益となる。
感謝するとき、神は私たちの人生に最善しかなさらないと
信じるとき・・・・・・
イエス・キリストに期待してみませんか?
明日、うちの長男、ダビデが入院をする。
中耳炎で、耳を乾かすためのパイプを入れるためだ。
しかし、私は、平安だ。
客観的に自分を見て見て、不思議に思う。
なぜ、平安なのかといえば、明確な答えがある。
それは、神の言葉が与えられているという事だ。
ダビデは神の前に恵をいただき
この言葉が私の心をつかんで離さなかった。
そして、心に平安が与えられた。
これが神の言葉の力だと思う。
確かに、神様はダビデに最善をなさってくださっている。
そして、知ってもらいたいのは、その神の力ある言葉は、
あなたにも語られている。
あなたが耳をかたむけさえすれば必ず聞こえてくる
明日は敬老の日。
一昔前までは、9月15日が敬老の日だったけれど、今では九月の第二月曜日。
ということで、私たちの教会から老人ホームへ慰問コンサートに、日曜日の午後に行った。
参加した人が面白いことを言っていた。
賛美している中で、こんなにはっきりと表情や雰囲気が変わったのは見たことがない。
それほど、最初は硬くてきつかったようだ。
ところが、賛美していくと、どんどん変わっていくのがわかったということである。
80代の人はもちろん、90代の人もたくさんいたようだ。
いろんなことがあって元気なのに、人に辛らつな言葉をかけてしまう。
そんな人が賛美の中で、神様の愛に触れ、全く変えられていく。
その姿を見るのは、とても楽しい。
そして感動である。
あなたにも年老いたおじいちゃんやおばあちゃんがいるかもしれない。
彼らといっしょに教会に来て、賛美にふれ、年老いたおじいちゃんやおばあちゃんが、変えられていく姿に触れてみてほしい。
あなたが来るのを待っています。
次男が16歳で親元を離れて旅立った。
遠いわけではないが、近いわけでもない。
何かあったら飛んで行ける距離ではあるが、すぐに行ける場所ではない。
私も18歳の時、浪人するために、親元を離れて東京に出た。
父親が新幹線の窓から最後まで手を振っていたのを思い出す。
今、あの時の父の気持ちがわかるような気がする。
部屋の契約も終わり、簡単な引越しも終わったあと、
最後に手伝ってくれた人や息子の新天地にある教会の牧師夫妻と私と息子の5人でお祈りした。
手を合わせて、神様というと、込み上げてくるものがあって、あとは何も祈れなくなった。
心配はしていない。神様が導かれたから、大丈夫だと堅く信じている。
しかし、息子のことを思うと涙がなぜか出てきてしまう。
こんなことを言うと、怒られるだろうが、一番手のかかった子である。
だから、こんなに早く、親元を離すとは思ってもいなかった。
でも妻も私も、間違いなく、もう私たちから離れて、この新天地に来ることが神様の願っていることだと確信している。
翌日の朝5時半からの早天に、この子は歩いて牧師宅まで行ったそうだ。
そして祈り終わった時、牧師宅の前に虹が出たのである。
実は、私たちが息子を新天地に連れて行き、引越しを終えて車で帰ってきたとき、
やはり大きな虹が、私たちの目の前に出たのである。
虹の約束を通して、神様が共にいてくださるとよく分かる。
神様は私たちを励ましてくださる。
そして決して私たちを見捨てることはない。
だから、この方と共に、この方に従って歩むことが、一番確かな確実な道なのである。
あなたも神様のところに来て、新しい道を、神様と共に歩み始めてみてください。
かならず、あなたにとって最善の、そして最高の道へと導かれていくことでしょう。
Author:あなたへの今日の愛のひとこと
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