あなたへの今日の愛のひとこと
あからさまに責めるのは、
ひそかに愛するのにまさる。
憎む者が口づけしてもてなすよりは、
愛する者が傷つけるほうが真実である。
旧約聖書 箴言27章5ー6節
人は他人から良く思われたいと思います。それは自然な感情でしょう。
でも、その結果、嫌われたくないから、仲間はずれにされたくないからと、嘘をついてしまったり、悪いと心で思っていても、黙っていっしょになってやってしまったりしてしまいます。
それが人の弱さなのでしょう。
でも、本当に愛する人は違います。
どんなに誤解されても、嫌われたとしても、その人のことを思い、時には辛らつな言葉をかけることもあるのです。
もちろん、感情に任せて怒るのとは全く違います。
でも、人は、なかなかそんな愛で、愛することは出来ません。
また、そのような愛で、愛してくれる人は、めったにはいません。
でも、あなたを真実に愛して、
あなたをそのままで受け取り、
そして、あなたの成長を願って、時に厳しく、はっきりとあなたに語り、愛を示してくださる方がいるのです。
その方が、イエス・キリストです。
彼は、聖書を通して、あなたに語ってこられます。
励まし。慰め、力づけ、そして愛をもって叱責し、
時に厳しく悔い改めを迫られます。
しかし、そのことばを受け取り、悔い改めて、方向を変えるとき、限りなく赦し、すべての失敗を益に変え、のろいを祝福に変えてくださるのです。
これがイエス・キリストの十字架と復活の力、福音の力です。
あなたも、このキリストを悔い改めて心に受け入れ、
彼の真実な愛のことばの中で、育まれていってください。必ず豊かな祝福と成長を見ることでしょう。
小学1年の頃、学校で工作の時間に十字架を作った。
それは、何を作ろうかと迷っていたら、そばにカトリックの子が
いて、「十字架をつくったら。」と言った。
私は、「それはいい。簡単だから。」と思った。
家に持って帰ったら、母がどうしてこんなもの作ったのと、
いい顔しなかった。
今、キリストの十字架を信じていることが、どれほど私の救いと
なっているか、はかり知れないほどだ。
幼い頃は何も知らなかったが、十字架にすべての解決があり、
ここに持って行って解決しない問題はないからだ。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。」1コリント1:18
先週の今日、生き返ったバラのことを書きました。
あれから一週間たって、そのバラはあっちにもこっちにも小さなピンクの花を咲かせて元気に葉を茂らせています。今になってみれば、もっとせんていしておけばよかったなあ・・・と思います。茂りすぎ。これではほとんど雑草みたいです。だから毎日、ちょっとずつ枯れた花や葉っぱを切り取っています。そのときいつも思うことは、よくぞ枯れずに生きててくれたなあ・・・ということです。とってもうれしい気分で眺めます。
そりゃあ見てくれがもっときれいなほうがよいに決まっています。でも、いいのです。バラがバラとしていのちを生きてますから。
もっと整おうが雑草みたいだろうが、いのちに生きてくれていますから。
茂りに茂って、好き勝手にあっちこっち枝を伸ばしていて、品評会に出てくる真紅の女王様みたいなバラとは大違いです。でも、これがいいのです。植木鉢も隠してしまうほどのこんもりとした茂みの中にピンクの小さな花があちこち見え隠れしています。毎日毎日、あっちからもこっちからも花が咲きます。見るたびに、こんなに元気に生きてる!と、こっちまで元気になります。
「バラはバラのように、スミレはスミレのように・・・私もこのままの姿でついて行きます♪」
子供の賛美歌です。
野バラは野バラがいいのです。もっと整えられてからでなく、今のこの姿がいいのです。
いのちを生きていれば、それがいいのです。
どうでしょう。ちょっと見方を変えてみませんか?ご自分に対しても、あなたの愛する人たちに対しても・・
神様が生かしておられるのです。今のそのままを神様は喜んで受け入れておられるのです。
ご自分に対して、点数がからすぎはしませんか?お子さんや奥さんやご主人や同僚に、その人でない姿を求めていませんか?
私たちは神の作品であって・・・・
聖書の中の一言が強く心に響きます。
神様が造ってくださったのなら完全ですよね。失敗はなさいませんから。
そこに生きるたったひとつの条件は、
あなたを生かすために十字架で死んでくださったキリストを信じることです。
本来のあなたがいのちに生き始めます。

父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか
自分でわからないのです。 ルカの福音書23章34節
イエス・キリストが十字架上で一番はじめに言われた事は「赦し」でした。
何一つ悪い事していないのに、十字架につけられ、人々にあざけられ、
仕返ししてもいいくらいなのに、イエスさまは祈られた、それも「赦し」の祈りでした。
自分を十字架にかけた人たちを赦したのです。
私は、中学のとき、ある先生の事がゆるせませんでした。
時間たっても忘れることができず、クリスチャンになってからも苦しんでいました。
あるとき、この聖書のことば(ルカ23:34)が心の中に思い浮かんできました。
ゆるしなさい・・・でも、許せない。どうしたらいいのだろう・・祈りました。
感情ではゆるせない。でも、イエスさまが、十字架の上で私の罪を赦した
だから、十字架の前でその先生のことをゆるしますと・・何が起こったか?
ゆるせない思いがなくなり、逆に、ゆるせない心を持っていることが罪なんだということが
わかったのです。ゆるせない心をもっていたことをゆるしてくださいと・・・
十字架の赦しのすばらしさを知ったのです。同じような問題もっている方おられるなら
イエス・キリストの十字架のところに・・ここに解決がある。
「家造りの見捨てた石、それが礎の石となった。」
この聖書の言葉から「礎の石孤児院」という名前が付けられた。
中東では、家は石で造る。
その家を造る人が、こんな石は要らないと言ったその石が、何とかどこかに役立ったと言うのではなく、無くてはならない土台石、つまり礎の石となった、という意味である。
まさに、孤児院にぴったりの名前だ。
孤児院にくる子どもたちは、見捨てられ、要らないというメッセージを、全身で感じて受けてきた子たちだ。
その孤児たちが、神様の愛の中で、自分は生きていていいんだ、神様に愛されている大切な存在なのだと気づいて、
その国にとっても、
この時代にとっても、
無くてはならない「礎の石」になってくれると、
私は信じている。
そして、この聖書が言っている「礎の石」は、
実はイエス・キリストのことである。
イエス・キリストは、ユダヤ人にも人々にも、お前なんか要らないといわれて、見捨てられ、あざけられ、鞭打たれて、十字架に付けられた。
本当に惨めなむごたらしいこれ以上は無い悲惨な姿で。
しかし、その十字架が、実は私たち人類の救いの土台石、礎の石となったのである。
そして、その十字架は、あなたの私の救いの土台石、礎の石なのである。
私たちの国籍は天にあります。
聖書の中に書かれている言葉です。
私たちは、例外なく、必ず、いつか「死」を迎えます。
私の友人の牧師が、昨晩、天に帰りました。
「死」を迎えたのです。
それは突然でした。
連絡を受けてから、その死を受け入れるのに、少し時間がかかりました。
でも、確かなことがあります。
それは、彼は今、天国にいるということです。
彼が生涯をかけて愛したイエス・キリストのもとにいる、ということです。
彼は死んだのではなく、その天に移しかえられたのです。
聖書には書かれています。
天国には、もはや死もなく、
悲しみ、叫び、苦しみもない。と。
私たちもいつか、彼のもとに行きます。
そしてあなたにも、必ず死はやってきます。
聖書ははっきり言っています。
「死」は、罪の結果であると。
私たち人間が神様から離れた時、私たちに死が訪れました。
しかし、私たちが悔い改めて、イエス・キリストを信じて心に迎え入れる時、私たちは、その死に勝利をするのです。
私たちの肉体が朽ちても、朽ちることのない永遠の命をいただいて、死も涙も悲しみも、苦しみもない天に帰ることができるのです。
私たちは、
天国で再会することが出来ます。
イエス・キリストともに。
愛する人とともに。

5月のはじめころからだったかなあ〜・・・・鉢植えの花が事務所においてあるのに気がつきました。何の花か、かわいらしいピンクの花がたくさんついた、茎にとげのある花でした。バラ????にしては花が違うような気も・・・
三日くらい飾ってあって、いつのまにか葉も茎も枯れてしまいました。むだだと思いましたが、そのまま捨てるのはかわいそうで、毎日水をやり、いただいた肥料をやってみました。毎日水をやっていると、ひょっとして、生き返ってくれるかもしれない・・・という期待がでて、止めることができませんでした。変わってきたようでもあり、、、、うーーん、やっぱり根から腐れていそうでもあり・・・それでも、かわいそうで水をやり続けました。
すると、おととい、小さな花がひとつ咲いているのに気がつきました。
かわいい〜!だきしめたくなるような気持ちでした・・・と思ったら、ひとつではなく、あっちからもこっちからも花のつぼみや芽が出ているではありませんか!
捨てなくてよかった・・・水をやり続けてよかった・・・
人間の私でもこうです。
まして愛なる父なる神は、もっともっと私たち一人一人に愛を注ぎ続け、必ず生き返らせてくださいます。
だから自分で捨てないで!ゴミ箱に捨ててしまわないで!
あなたの人生を神が生き返らせてくださいます。
父なる神は完全なガーデナーです。
イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」マルコの福音書10章27節

私はキリストとともに、十字架につけられました。もはや、私が生きて
いるのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
ガラテヤ2章20節
誰かが自分の身代わりになる・・・ふつうは、良い事で引き受けたりすることはあるが、
悪い事、自分の都合の悪い事に関してはしない。でも、それをされた方がいました。
イエス・キリストです。人を愛したゆえ、私を愛したゆえ、何の罪のない方が、
私たちの罪を受け、悲しみ、苦しみを受けられた。本来は、人が、自分が受けなければ
ならない・・・その十字架を引き受けられたのです。
私たちの罪も苦しみも悲しみも全部十字架につけられた。
キリスト信じるだけであなたの人生変わるのです。
キリストがあなたとともにおられるから・・・・・・・
今日は父の日だった。
聖書に出てくる神様のことを父なる神という。
母なる神とは言わない。
しかし、父なる神様は、決して恐いおそろしいお父さんではない。いや、むしろ聖書ではしばしば、父なる神の愛、と書かれている。
私が携わっている「礎の石孤児院」には、お父さんがいない子どもや、お父さんが分からない子どもたちがたくさんいる。
たとえお父さんがいても、全く養育を放棄してしまっていたり、とても育てられる状況ではないお父さんたちだったりする。
当然、孤児である彼らは、父親の愛を知らない。
笑えない子どもたち、
中には泣くことさえ出来ない子どもたちもまれにいる。
HIVに感染していて骨と皮だけで孤児院に来た子供たち。
そんな彼らが、礎の石孤児院の中で成長し、
はじけるような笑顔を取り戻していく。
多くの人々の善意に満ちた贈り物を通して、
彼らは生かされている。
でも、一番大きなことは、
彼らが父なる神様に自分が愛されていることを知ったこと
高価で尊い価値高い存在だと知ったこと。
自分は生きていていいんだと、知ったこと。
父親を知らず、
あるいは父親に傷ついていた彼らが、
父なる神の愛に出会った時、
彼らは笑顔と生きる希望を見出したのだ。
あなたにも知って欲しい。
あなたを愛している方がいる。
父なる神様。
この方は真実な愛の方。
どこまでも、どこまでも真実で決して裏切ることのない愛の方
父なる神の愛、
あなたがこの愛に出会う時、
あなたもきっと笑顔が溢れてくる。
生きる希望と勇気が湧いてくる。
あなたは愛されている。
主の目には高価で尊い。
最近気に入っている歌の歌詞です。
あなたは知っていますか。あなたを本当に愛して、命まで捨ててくださった方がいることを。
それは、あなたが命を捨てるに値するだけの価値高い存在だからです。
少なくとも、この方は、
あなたのことをそう思ってくださっています。
人々は、いつもそう言ってはくれません。調子のいいときと、都合のいい時には言ってくれますが、その人にとって不必要になったり、マイナスだと思うと、たいていの人は離れていきます。
そして自分でも、自分のことが嫌いになったり、自分は何てダメなんだと思って、落ち込んでしまう人が、残念ですが、たくさんいます。
人々の言葉や偽りの言葉に振り回されて、あなたは自分を見失わないでください。
あなたのことを、あなた以上に知り、
あなたを高価で尊いと言って、
あなたのために、
命を捨ててまで愛してくださった方がいるのです。
先ほどの歌はこう続きます。
命まで捨てられて、愛を伝えた主。
この主という方、それがイエス・キリストです。
イエス・キリストは、あなた身代わりになって
十字架で、すべての苦しみ、悲しみ、呪い、禍を引き受けて、死んで黄泉にまで下られました。
そして死と悪魔に打ち勝ってよみがえられたのです。
今もイエス・キリストは生きておられます。
そして、キリストは、教会に満ち満ちておられます。
ぜひ明日、このイエス・キリストの愛に、
教会に行って出会ってください。
あなたは、
自分が価値高い存在であることに気づいて、
喜びが溢れてくるでしょう。
毎朝、歩いて出勤していると、いろんな発見をする。
今日は浦上川でいろんな色の鯉が、20匹以上あ泳いでいるの
を見た。また、そのほとりに、渡り鳥が2羽いた。
あれは「きんくろはじろ」ではないかと、思う。
対馬に出張していた頃、見た鳥とそっくりだった。
よく見ると、かめも一緒に泳いでいるのを発見。
かつて汚いというイメージしかなかった浦上川で、大きなオレンジ色や、
黒色の鯉がいきおいよく泳いでいるなんて、驚きだった。
渡り鳥もよくみる。
聖書にこんなことばがある。
『この川が流れていく所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、
非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、
そこの水がよくなるからである。
この川がはいるところでは、すべてのものが生きる。』(エゼキエル書47:9)
この川・この水・・・これは神様から来るいのちを与える「みことば」だと思う。
どんなところでも、このみことばを信じるなら、すべての者がいのちを受けていく。
毎週木曜は実家で朝から大洗濯大会。雨にもめげず、今日も洗濯機を2回回し、汗をかきかき、ストーブで乾燥です。それからストーブの熱気でむんむんする台所をあちこち掃除して、ふーっ・・・冷たいお茶でも飲んで休憩しようかな・・・と冷蔵庫の野菜室を開けた瞬間、再びお仕事開始となりました。
年取った両親の冷蔵庫の野菜室は、わけもわからないような物がぱんぱんに詰め込まれ、その中で、どんぶりに入れられていた汁物がひっくり返ってこぼれて大洪水状態。「こんな不安定な器にこんな物を入れて野菜室に入れるなんて・・・そんなこともわからないのかしら!・・・まあ、いいか。掃除できてよかった・・・」と自分に言い聞かせます。中身を取り出して野菜室の底を見ると、底は、以前こぼれた汁物がゼリー状に固まり、枯れた野菜はミイラ化して、目をおおい、ふたを閉めてしまいたくなるような惨状です。思わず「きったない!」「不潔!」と、内側から軽蔑にも似た思いがこみ上げてしまいました。昨年も同じように冷蔵庫の大掃除をした思い出がよみがえりました。中身をすべて放り出して、引き出しをせっせと消毒しながら、イエスさまが私の心の消毒を始めておられるのに気づきました。
今は物を握る手が震えるほど力がなくなった母親を、助けてやれないことを悔いるのではなく、きちんと掃除できない母親を責めたい冷たい心。せっせと食べ物を溜め込まなければ空しくて仕方のない父親をあわれむよりも、見下している高い心。
木曜日はお掃除と洗い物の日。私の心もこうしてイエスさまが洗ってくださいます。
神よ。私にきよい心を造り、
ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。詩篇51:10

聖書の中で一番短い御言葉は、日本語の聖書だと
「神は愛です」
短いけれど、一番的確で真理を語っている。
天と地を造られた方がいる。
そしてその方は、私たち人間をも造り、命を与えてくださった。
そして罪に陥った人間がおりなす物語を、愛と憐れみの御手を持って導いていかれる。それが神の物語(History)ー歴史である。
ミクロからマクロの世界まで、すべてをご存知の真の神様が、あなたのことを知っておられる。そしてあなたのことを片時も忘れることはない。
だから、たった一人子のイエス・キリストを、あなたの罪の身代わりに十字架の死に渡されたのである。
もうあなたが罪に捕らわれて苦しまないように、悲しみに沈んでしまわないように、イエス・キリストが、あなたの代わりに黄泉にまで下り、死と罪に打ち勝って甦られたのだ。
あなたの悲しみは喜びに変わります。
呪いは祝福に変えられた。
あなたの神、主があなたを愛しているからである。
見よ。すべては新しくなる。
今、悔い改めて(向きを変えて)、キリストを心に迎え入れて、
新しく出発しよう。
神様が創られた本当のあなた自身を見つけ出し、
神様の愛の中で輝いて生きるために。

今朝のできごとです。キャーンキャーン!!と、なんともいえない犬の鳴き声に、母と私は思わず飛び出しました。すぐにお隣の犬の声だとわかったからです。お隣の犬はよく吼えます。でも、いつもの声とちがう!私たち二人はほとんど同時にそう思っていました。ちょうどお隣のご主人も出てこられ、夕べから犬がおなかを壊していて、痛がって鳴くのだと説明してくださいました。
まるで虐待でもされているような悲痛な声だったので、ほっとして家の中に入りながら、虐待され、叫び声を上げていても、だれも見に来てくれない子供がいたり、クラスの中でいじめられていても、声にさえ出せない生徒がいたり、隣でたった一人で病に倒れていても、お隣にさえきづかれずに亡くなっていた人がいたりするのに、この犬は、おせっかいなおばさんが二人も飛んできて幸せだなあと思いました。
たった一人でマンション暮らしをしていたとき、病気で一人で寝ていると、ある不安がやってきました。きっとだれにも気づかれてないと思うと、死後三日たって発見なんて・・・・そんな〜・・・ぞっとしました。人がたくさんいるのに、その都会のただ中の孤独の恐ろしさの方が病気の苦しさより体にこたえました。そして、イエスさまに向かって叫びました。イエスさま〜!だれか送って!薬買いに行ってくれる人、送ってー!私のこと心配してくれる人、送ってえ〜!!!
まるであの犬みたいだったかもしれません。(笑い)
するとふと思い出しました。ーー引き出しの中に解熱剤があった!!!---
電話が鳴りました。「もしもし、○○です。」「あ、○○さん、お願い。祈って!私動けないの。」
もちろんそのお祈りで私は気分が良くなり、しばらく眠った後、起き上がれました。
イエスさまは良い牧者です。ご自分の羊をよーく見、その声をいつも聞いておられます。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。
イエス・キリストのことばです。


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